ゼントイ(銭取り)やんめ 死んやんめ
お金をかせぐことに病みつきになった者は、寝てもさめてもカネ、金、かねで心身の健やかさをうしないがち。
そして、お金がたまった時はすでに余命がないことままあります。
金かせぎ病は死の病だという教えらしいです。
薩摩の教えは、昔からお金と女性の事には厳しい教えがありました。
京都に出て行った、志士達に、「長州には金を与えよ、薩摩には女を与えよ。」と言われてそうです。
あの大久保利通が亡くなった後、家族に内緒にしていた多額の借金がはっかくして、大久保利通の家族を驚かせたという話も残っているくらいに、薩摩の人はどうやら、お金に頓着がなかったと感じます。
多分、薩摩の教え的に「お金はいやしいもの」的な解釈であった思われます。
薩摩商人は商売がうまい??
ところで、薩摩の商人はどうだったのでしょう??
現在の鹿児島で一番商売がうまい人は、「京セラ」の「稲盛和夫」さんなんでしょうね。
稲盛さんの座右の銘は「敬天愛人」、西郷さんの言葉を大事にされていることは有名な話ですよね?
稲盛さんが書かれた書籍の中にも、薩摩の教えを書かれた本があります。
またその書籍の中にも、随所に「薩摩の教え」が出てきます。
はたして、鹿児島の商人は、商売がうまかったのでしょうか??
薩摩商人の気質
江戸時代前期から中期に残された、現代で言えば小説の一種「浮世草子」(うきよぞうし)である井原西鶴(いはらさいかく)1642~1693年が薩摩の商人がいかに商売が下手であるかを、「西鶴織留」にある物語に残しています。
ある大阪の商人が、商売がうまくいかずに、とうとう大阪をはなれて商売をする場所を探しに旅に出ます。
愛知などをてんてんとした後、にっちもさっちも行かなくなった大阪商人は、とうとう鹿児島にたどりついてしまいました。
その商人は、鹿児島にたどりついて、おなかが少し減ったので、近くの団子屋に行きました。
その団子屋にたどり付き、しかしその団子屋は、、呼んでも呼んでも、お店の中から声がしません。
おかしいなと思った大阪商人は、お店の裏にまわってみました。
すると、お店の裏には、店主と思える夫婦が、ねずみが出てきた様子で、ドタバタと二人でなにやら、慌てふためいている様子でした。
その中で大阪商人が、団子を売ってくれと頼むと、「もう時間が過ぎたので売れない。」
「明日来てくれ。」
と言う。
ここにお客がいるのに、鹿児島の商売人は団子すら売らないのか?
なんと薩摩の商売人はノンキなことかっと思った大阪商人は、ここで商売をしたら絶対に、成功できると思い、鹿児島で商売をはじめることにしました。
そして、その大阪商人は、大富豪になったそうです。
「西鶴織留」にある物語で実話だと言われています。
薩摩という所は、「ゼンカネ(金銭)のことを言うな」と昔から厳しかったそうです。
「銅臭(お金の臭い)を嫌う」気風があったそうです。
お金は大事だよ~♪
よーく考えよ~♪
どうやら、鹿児島の商人は, 商売が下手だったようですね??
コメントをお書きください