昨日の敵は、今日の友? ~092

回向には 我と人とを 隔つなよ 看経はよししてもせずとも

えこうには われひととをへだつなよ かんきんはよししてもせずとも

戦場では敵味方に分かれて戦っても、死んだ人を供養するときは、敵味方を区別することなく、冥福(めいふく)を心から祈りなさい。慈悲の心(苦をはぶき、楽をあたえようとする心)が自他(自分や他人)を救う。

この言葉は、島津忠良(しまずただよし){別名:日新公(じっしんこう)}のいろは歌の言葉です。

日新公をまつってある、竹田神社

昨日の敵は今日の友?

この教えは、「昨日の敵は今日の敵」と言ったところでしょう。

 

 

 

例えばビジネスにおいて、横領や同業者の中傷批評などが、たまたま発覚したら、あなたならどうしますか??

 

 

 

そういうことがもし、部下の横領とかそんな裏切り行為が明るみになって、誰が取ったかまでが分かった時、「アイツ、絶対許せない」と、一瞬でも感情的になるのが普通ですよね??

 

 

 

あなたも、人生の中で、何かを誰かに取られた経験はないでしょうか?

 

 

たぶん、そんな経験がある人ならそんな気持ちが分かるはずです。

 

 

 

そんな時、感情にまかせて、時には職権などをつかって、その相手をとことん追いつめる時もたまにあります。

 

 

しかし、この言葉によると、感情だけで処置をおこなう事は間違いだといっています。

 

 

むしろこの場合、戦いにおいて、相手から大事な仲間の命を取られているのですから、モノ、カネとられるよりもっともっとにくいはずです。

 

 

そんな相手でも、この言葉によると、「負けた相手にも、かんだいな態度をもって、たとえにくい敵であれ、武士たるや、相手を思ってほどこせ」と教えています。

 

 

われわれ凡人に、昨日まで本気で命の取り合いをしていた相手に対して、勝ったその瞬間から、その相手に仏の心を持てるんでしょうか?

 

 

 

 

 

 

桐野利秋(きりのとしあき) 別名:中村半次郎(なかむらはんじろう)

「ひと月にひとりずつ斬れば、日々剣法を学ぶにまさる」

 

 

この言葉をよく言っていたといつわを持つ、薩摩藩の人斬り、「人斬り半次郎」こと「桐野利秋」(きりのとしあき)は、いかにも冷こくでクールな人間というイメージを持ちますが。

 

 

やはりこの言葉の教えから?と思えるエピソードを紹介いたします。

 

 

それは、当時の薩摩藩にとって、敵であります新撰組の局長(最高指揮官)の「近藤勇」(こんどういさみ)に対して、桐野利秋のエピソードです。

 

 

1868年4月(明治元年)まだ、戊辰戦争(ぼしんせんそう)中に、近藤が坂本竜馬(さかもとりょうま)などを殺したつみとして、新政府に処刑された時の話です。

 

 

近藤が本当に罪人として斬られたことに納得がいかずに、薩摩藩と土佐藩と近藤の処刑のいけんが対立したなかで、死刑をおしきった土佐藩(現、高知県)に怒りをあらわにしたといういつわが残っています。

 

 

たとえ敵であろうと、見方であろうと桐野は、「武士らしき武士」、近藤勇に敬意をしめしていた。

 

 

会津戦争では軍艦をつとめた桐野は、会津若松(現、福島県)・鶴ヶ城の受け渡しの時に、桐野が代表で鶴ヶ城を引き取りに行きました。

 

 

その時、鶴ヶ城の天守閣に残った無数の数の弾痕を目にして、会津藩兵士の苦難のたたかいを思い、男泣きに泣いたと言われています。

 

 

その時の事をのちに語る桐野は、「涙を止めることができなかった。」と言ったそうです。

 

その時の処置にしても、会津藩士の名誉を気遣い、寛大なはいりょで会津藩に対して親身に満ちた対応をしたといわれています。

 

 

後に当時、会津藩主だった松平容保(まつだいらたかもり)は、その配慮にたいして、桐野に金銀づくりの宝刀をおくったと言われています。

 

松平容保(まつだいらたかもり)

ビジネスや生活にいて、物事の決断をくださないといけない場面がときおりでてきます。

 

 

時には、人に対してもおこなう事があるでしょう。

 

そんな時に、決して感情的にならずに、相手を思いやって事にあたるということが、大事なんではないでしょうか??

 

 

その時の感情で上から押さえつけても、ゆくゆくは大きな亀裂となり、わが身、又はあなたの仕事に降りかかってくるやも知れません。

 

 

寛大で相手を思って事をほどこすと、きっと相手も、後に感謝の心へとかわるかもしれません。

 

 

寛大な心をもって、事にあたりたいものですね。

 

 

今日も全てに感謝!!

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