
今日は、賦について書きたいと思います。
あなたは、賦とはなんだか分かりますか??
月賦の賦ですよね??
えっ借金??
きっとこのブログを読んで、いっそう??と思うに違いありません。
でも誰も知らない事なので、今回、ブログの題材にあげてみました。
この賦とはなんなのか??
そういわれると、気になりますよね??
それでは、完璧ではないまでも、この賦について説明します。
この事にふれるのも、今まで誰もいなかったと思われます、なぜなら、誰も知らないので、この賦についての研究もされていません。
図書館に行ってもなかなか出てきません。
だから、いっそう私のモヤモヤがたまります・・。
あなたがもし、このブログを読んでこれだという事が分かる時は、是非、私に教えてください。
長い長い重荷がとれます、宜しくお願いします・・。
だから今回、あなたにも少しこの荷物をもってもらいますww。
少し寄り道しましたが、それでは、本題に入ります。
鹿児島にはまだ、武家屋敷が少し残っています。
今でも普通に住んでいるお宅もありますし。
ある鹿児島の田舎には、武家屋敷がたくさん残っている地域があります。
知覧だったり、出水だったり・・。

こんな感じの武家屋敷群からなる場所が残されています。
鹿児島のもともと武家上がりで、今でも武家屋敷そのままの家を訪ねてみると、たまに、天井の間にある横板のことを、子壁(こかべ)というらしいんですが、そこに賦という文字が貼り付けてあることがあります。

ちょうどこのあたりが、子壁で、こんな感じに賦とはってあります。
なぜ、このような賦という字を子壁に張りつけてあるのでしょう??
これは、薩摩に伝わる、古くからのなごりで、戦に行くときに、この賦という文字をはって戦いにでたそうです。
この字をはる場所は、ジャンプして届く位置ときまっていました。
ただこの賦という文字。
賦という文字の最後の右上の点を、書かないのがしきたりだったみたいです。

こんな感じです・・。
この文字をはって、家族で最後のばんさんを、笑って見送るわけなんですね。
そして、戦から無事帰ってくると、まず家に入って、この文字に喜び勇んでジャンプしながら点をつけるという風習があったらしいです。
「帰ってきたぞ!!」
とこの時の歓喜は、マックスマックスだったのでしょうね?
しかし、この賦をなぜ書くのかが解明されていません。
なぜ、賦なんでしょう??
私の見解としては・・・。
賦を歴史的にひも解くと、天から与えられた、人の力ではどうにもならない生まれつきの宿命を、まっとうに勤め、天とお上に身をささげる。
とこんな意味あいだったのではないだろうかと推測しています。
少し、モヤッとした説明でしたが・・・。
この文字が武家屋敷に張られているところが、まだ、ところどころに残っています。
戊辰戦争、西南戦争に出陣した薩摩の武士達の形跡が今でものこっているんですね。
そんな中にも、とうぜん点が打ってない、賦という文字が残る家がいまだにあったりします・・。
だるまの目みたいな、願いがかなったら的なものなんだと思います。
だれか、この賦という文字の意味が分かる方がいたら教えて下さい。
今日も全てに感謝!!
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