どこまで行くの?薩摩の参勤交代~085

西郷隆盛

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、難関を共にして国家の大業は無し得らぬなり。」

今回は西郷隆盛のお話です。

 

個人的に一番好きな偉人でありますから、西郷隆盛の話が多くなりそうですが・・・。

 

 

以下西郷さん

 

西郷さんは、当時の薩摩の藩主・「島津斉彬」公にその実力を認められて「お庭番」に抜擢されました。

 

 

当時の「お庭番」は、殿様のガードマンであり、秘密の秘書であった。

 

 

仕事といえば、常に殿様のそばに仕えて、様々な情報を伝える仕事だったらしい。

 

 

ここまで読んだあなたは、多分なんだただの秘書じゃないかと思ったのでは??

 

 

私も思いました・・。

 

しかし、この「お庭番」は、「隠密」(おんみつ)といって、君主などの命令をうけて、秘かに情報収集などをする、スパイみたいな動きをする仕事なんですね。

 

 

殿様がお出かけの時は、「留守番」に「電話番」??

 

 

チョット話はそれましたが・・・。

 

 

 

 

島津斉彬

ある時、島津斉彬公の参勤交代のお供に、お庭番の西郷さんが、一緒に江戸までお供するように命じられました。

 

 

これは、その参勤交代の道中でのエピソード。

 

 

お殿様が乗ったお駕籠(かご)を中心に、参勤交代の行列は千人以上もの行列で、西郷さんを含めたお供のお侍さん達が、テクテクと行列を作って長い道のりを「下に~、下に~」・・・歩くわけなんですがね。

 

 

この「参勤交代」という制度、外様大名である薩摩藩には政治に参加させる権利を与えないばかりか、大名の妻子を人質として江戸に住まわせ、大名には江戸と国元を一年交代で往復させるという過酷な制度だったんです・・。

 

 

江戸から遠く離れた薩摩藩にとっては、金銭的にも本当に負担がキツイものだったらしいです・・・。

 

 

妻子人質にとられて、何でこんな思いせんといかんのじゃ、ですよ本当に・・・。

 

 

話戻して、行列は、とある街を抜け、山道にさしかかったところで、小休憩となった。

 

 

西郷さんも「やれやれ、ひと休み、ひと休み」と、そばを流れる小川で顔を洗おうとした。

 

からだをかがめた拍子に、その時、西郷さんのふところに入れていた、紙入れ(サイフ)がポトリと落ちてしまいました・・。

 

 

そのまま顔を洗い続ける西郷さんは、その紙入れが落ちた事を、気づいたのか気づいていないのか??

 

 

そのまま、西郷さんは顔を洗って立ち去ろうとしてしいます。

 

 

そばにいた同僚のお侍さんが気付いて、その紙入れを拾って西郷さんに言いった。

 

 

「西郷さん、紙入れが落ちていましたよ」

 

 

これに答えて、西郷さんは。

 

 

「はい、分かっています。だけども、この紙入れは、私のふところに入っているのがイヤで飛び出したものでしょう。もう私のものではありません。あなたに拾われたということは、あなた方に、その紙入れがホレタということだと思います。かまいませんので、あなたが持っていてくれませんか?」

 

 

と西郷さんは何食わぬ涼し顔で、その場を離れていってしまった。

 

 

・・・と、こんな話が残っています。

 

 

本当に欲の無い人ですね??

 

 

その西郷さんは、クーデターをひきおこした、私学校の塾生達の責任を自らかぶり、政府に戦いを挑むという形で、みずから先頭に立ち西南戦争を戦いました・・・。

 

 

今から約百三十年前の、明治10年の事。

 

 

命を塾生達にあずけた、西郷さんは、政府との激闘のすえ、この年の秋、9月24日に西郷さんは城山の露と消えました・・。

 

 

 

「命もいらず、金もいらず」

 

あなたはこの気持ち理解できますか??

 

 

私は、まだ甘く自分の財布にすがり付いているところがあります・・・。

 

 

 

 

とにかく、目先の、地位や名誉、カネに目がくらんで軽率な行動をおこしたり、放漫な態度を慎む心構えを持ちたいものです。

 

 

しっかりとした心構えを持ち、足元をすくわれないよう、しっかり前を見据えて歩いていきましょうね。

山岡鉄舟

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもものなり。この始末に困る人ならでは、難関を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」

「命もいらない、地位や名誉もいらない、官位やお金も要いないという人はしまつに困るものだ。しかし、こんな始末に困るような人間じゃないと、極めて難しい問題をいっしょに分かち合い、国家にとって大きな仕事を大成功にみちびく事はできない。」

 

と山岡鉄船が西郷隆盛の事を評している・・。

 

山岡鉄船は後に明治天皇の教育係になるが、幕末の頃は誰もが恐れる北辰一刀流の剣の達人であったが、人生で人を殺した事はなかったと言い伝われている。

 

 

 

「江戸城無血開城」

戊辰戦争の時、西郷隆盛が江戸に攻め入った時に、彼がひとりで西郷隆盛の陣に出向き、二人での話し合いで江戸城の明け渡しを幕府が抵抗なく無血で行いました。

 

 

 

 

 

 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加