薩摩男児は、デカ隼人??〜083

4年前に京都に旅をした事がある・・。

 

 

その時の京都の旅のテーマは、「お酒と新撰組」といテーマで今日と観光をした・・。

 

 

ちょうどその頃は、桜の満開時期で京都の観光客の数は、爆発状態であった・・。

 

 

 

交通機関も麻痺して、観光名所は人人でごったがえしている。

 

 

 

そんな状態だった・・。

 

 

一箇所の観光名所に行くにしても、半日がかりで。

 

 

渋滞で交通も麻痺し、[自転車の方が早いんじゃないの??]

 

と思えるほどだったのを記憶している。

 

 

 

京都の新撰組のゆかりの地「壬生寺」と京都、伏見の薩摩藩邸跡地が異常に近かった事を記憶している。

 

 

[これくらい近かったら、しょっちゅう新撰組と薩摩藩士は京都の町で顔を会わせていた筈だろうと思った。]

 

 

[互いに、睨みを利かせてこうちゃく状態だったのだろうか?]

 

 

[じゃなければ、互いに場所が近く、しょっちゅう顔を合わせる場所だけに、ドンパチドンパチとしょっちゅう争いをおこなった筈である。

 

と当時の私は思った。

その疑問は、数年経って、ある歴史家の話でやっと分かった。

 

 

 

鹿児島の風土は、火山灰からの噴出しから出来る、シラス台地におおわれ、保水性に乏しく痩せた土壌であるため、稲作に向かなかった。

 

 

 

そのため、薩摩の人々は乾燥に強いサツマイモ、大豆、菜種などの農作物を作っていた。

 

 

 

当時、薩摩の貴重な鉄砲の油に使う為に、鹿児島市外で盛んに作られていた。

 

 

鹿児島の土地には、サツマイモほど作物が育ち易いものが無かった・・。

 

 

サツマイモの脂質は、100gあたりたった0.2gほどである。

 

 

薩摩藩は芋と豚を食べていた!!

そんなサツマイモも、戦のない時などは薩摩藩士にとって貴重な栄養価の高い食物となる。

 

 

そして、薩摩は戦国時代から「歩く野菜」とよんで、豚を食していた。

 

 

当時、日本全国、戦国時代から江戸時代にかけて、肉を食べていない時代である。

 

 

その豚の餌も、当時よく採れたサツマイモが餌であった。

 

 

 

戦国時代から江戸時代の薩摩藩士は、ズバ抜けて大柄な体格に恵まれていたそうである。

 

 

 

その理由はやはり、サツマイモと豚を食べ、西洋に近い食文化であったためだったと考えられる。

戦国時代から、島津藩は生きた豚を戦場に兵糧としていた肉食民族であったのだ!!

じゃあ気になるところは、薩摩藩の身長はどれくらいあったのか??

当時の江戸時代の平均男性身長が155cmであった頃。

 

ちなみに女性身長は143cm。

 

 

西郷隆盛/178cm

 

大久保利通/186cm

 

桐野利秋/177cm

 

明治の人斬り中村半次郎のち「桐野利秋」(きりのとしあき)

 

ちなみに新撰組は

 

近藤勇/167cm

 

土方歳三/165cm

 

沖田総司/158cm

 

 

それにしても薩摩はデカイ!!

 

 

薩摩藩は170cmや180cmを超える人間がゴロゴロいた。

 

 

薩摩藩が集団で歩くと、その背丈の大きさから異様な威圧感を放っていたらしい。

 

 

当時、薩摩藩邸から薩摩藩の集団が歩いていると、新撰組は「右に曲がるぞ!!」と逃げる事も多かったという。

 

 

なるほど、だからドンパチ出来なかったのかぁ~。

 

 

それだから、新撰組局長の近藤勇から「薩摩の中村半次郎だけは相手にするな」と言われるわけだな・・・。

 

 

ちなみに当時の身長は、皆死んだ後に、薩摩藩邸や江戸から練習用の名前を書いた木刀が沢山見つかったそうだ。

 

 

その木刀は、立っている状態で、自分の乳首の辺りできる。

 

 

そこから、推定するとその身長がある程度まで測定できるそうである。

 

大久保利通の身長は、皆まちまちで、その歴史家は190cmあったと言っていた・・。

 

 

歴史はロマン~♪

 

 

今日も全てに感謝!!

 

 

 


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コメント: 1
  • #1

    matu (水曜日, 14 9月 2016 03:00)

    すまん、わっぜ長げー、暇な時にじっくり読むでごわす