
鹿児島の歴史を深く勉強してみると、本当に面白い。
鹿児島の歴史を知らない頃は、[鹿児島(薩摩)には西郷さんがいて、明治維新に頑張った偉い人。]
これくらいのものだった・・。
あなたは、日本の日の丸も君が代も鹿児島生まれと知っていただろうか??
島津家28代島津斉彬(藩主)は、鹿児島にいたのは僅か3年。
その間に、君が代と日の丸を作ったのだ。
今から約150年前の事だ。
「えっ、日の丸と君が代が思ったの?」と思ったより新しくて、あなたもビックリしたのではないだろうか??
日本で建造だれた最初の蒸気船は、「雲行丸」(うんこうまる)と名付けらた、薩摩が造った船だった。
当時、黒船の来航によって幕府は鎖国政策から開国を余儀なくされた。
ずっと鎖国をしていたため、日本の船と海外の船を識別する必要性が無かったため、国旗に対しての必要性も無かったといえる。
日の丸や日章旗は古くから薩摩の戦いの時に使われていた。
この雲行丸を鹿児島の錦江湾に浮かべると、当時の薩摩の人々は、黒船と勘違いし、薩摩の人を困惑させたそうだ。
当時幕府も、開国にむけて海上で外国の船と日本の船を識別するためどうするかという事が問題であった。


島津斉彬は当時、その問題をずっと考えている時。
斉彬は錦江湾の桜島に昇る朝日を見て、この国は同じ太陽の下で思想の違う人々が暮す国だ。
ということを、ふと考えた時に日の丸のヒントを経たそうである。
そこで、斉彬は、「日の丸」を日本の船印として採用するように江戸幕府に提言し、見本を作成提示した経緯があるそうだ。
あなた知ってましたか?
この日の丸のデザインの高さから、ヨーロッパなどの諸外国から売ってくれという要望が多かったそうだ。
一番の高値をつけたのは、デザインの国フランス。
フランスは「日の丸」を現在の二百億円相当で売ってくれと、明治政府に依頼したそうである。
もちろん、明治政府は。
「国旗を売り渡す事は、国家を売り渡す事」と強くこの申し出を断ったそうである。
他の国もこの国旗に憧れ、バングラデッシュ、パラオなど日の丸に似た国旗をつくったそうだ・・。
斉彬世界のデザイナー!!
今日も全てに感謝!!
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