郷中教育!!薩摩の偉人を育てた素晴らしい教育!! ~078

前回は、鹿児島の発信力不足など説明してきたが、少し鹿児島へのバッシング的なブログとなってしまっていた。

 

 

これも、鹿児島を愛する由縁であるが故ではあるのだが。

 

 

 

鹿児島をもっともっと元気に、そして強かった薩摩を取り戻す為には以下にして戦略を練っていったらいいのかを西郷隆夫さんの勉強会を通して学んだ事を発表していきたいと思う。

 

 

薩摩藩、肥前藩、会津藩は昔から江戸幕府に背いた国として、何時も貧乏くじを引かされている県と言われている。

 

 

その理由として、原発を鹿児島、佐賀、福島に置かれているのもその理由だと言われている。

 

 

福島原発の汚染土の配置候補地として、政府内で浮上した場所が鹿児島の大隅町に有力候補としてあがったのも記憶に新しいと思う。

 

 

 

これから先もなにかあったら、鹿児島に貧乏くじを引かせようと政府はしてくるのだろうか??

 

 

もっとそれにも負けない魅力ある鹿児島を発信し、素晴らしい鹿児島を県民が一つになって築いていくべきではないだろうか??

 

 

これから先の鹿児島は観光立国として、自然や食、歴史などで県自体の魅力を発信し、われわれ薩摩の先輩達が築き上げてきた鹿児島という誇りを、鹿児島の子供達に、未来ある鹿児島を後世に受け継いで行かなければいけないと思う。

 

 

 

 

薩摩の教育。郷中教育(ごうちゅうきょういく)

薩摩藩の武士の階級を子弟教育法。

 

薩摩の武士は読み書きが出来ない武士が多かった、そのため薩摩の教育方法として、古くから伝わる教育方法が、郷中教育である。

 

まず、町内会で一つの集団を作って、その中で一人15歳位のお兄ちゃんを先生役にみたてて、子供達に教育をほどこす。

 

この先生の事を「ニセガシラ」、兄ちゃんのトップと呼ぶ。

 

校長先生の事を「オオニセガシラ」、大きい兄ちゃんのトップと呼んだ。

 

 

 

朝は武芸に励み、昼からこの郷中教育が始まる。

 

この教育は、危機管理シュミレーション教育と隆夫さんは教えてくれた。

 

 

一つの題材に、「君ならどうする?」と全ての子供達に答えさせる。

 

 

その答えは全て正しいとされ、皆の意見を話し合いで決め、みんなの意見を一つにまとめニセ頭に報告する。

 

 

こうして決まった意見は、皆の法律としていざという時はそれを行動する訓練を行う。

 

こうして皆で決めた意見に後からつべこべ言うな。

 

「儀を言うな」となった。

 

今では鹿児島の方言で「ギヲイウナ」は「文句を言うな」として使われている。

 

 

例えば甲突川が氾濫したら、皆いっせいに同じ事を出来るように訓練されていたらしい。

 

まず、汚水が入ると皆生活が出来ないので、井戸に油紙をひいて汚水が入らないようにするなどの危機管理を知識から知恵に変え行動できる知恵へに教育されていたという。

 

 

薩摩のちょうちん、薩摩の芋づると呼ばれ何か起きると、薩摩の人間はいっせいに同じ事が出来たという。

 

 

それを見た長州の人は、薩摩の人間がいっせいに同じことをする事をバカにして笑っていたという。

 

それには、理由があった。

 

 

郷中教育で皆で腑に落ちるまでとことん話し合って、決めた事、それをする理由があった。

 

 

鹿児島に甲突町という城下町の跡地があるが、明治維新の偉人達は全員この一つの甲突町という小さな町から輩出されており、その「オオニセガシラ」が西郷隆盛であった。

 

こうして薩摩が当時強かったのは、西郷さんを頭に、とことん話し合って、皆で話し合って話し合って決めた事がいっせいに同じ事が出来たからだと言う。

 

当時の武士は10人に一人が武士だったが、薩摩は3人に一人が武士だったという。

 

簡単に言えば公務員が3人に一人、殿様が給料を払えなかった。

 

 

当時の薩摩の武士は、昼間は県庁勤め、夜はコンビニでアルバイト的な生活だったという。

 

 

武士と農業の兼業だったという。

 

だから、百姓一揆が起きなかった。

 

皆武士だったからだ。

 

 

薩摩の土地は農業としても、米が出来なかったので、密貿易で生計をたてていた。

 

米高が出来なかったので、砂糖などを密貿易してお金を稼いでいた。

 

 

薩摩ほど海賊が多い藩はない。

 

 

海賊というとアニメのワンピースしか今は思いつかないが・・。

 

 

島津家にも海賊がいたという。

 

 

加世田という土地があって、そこ出身の鮫島という姓は、ほとんど海賊であったといわれる。

 

 

中国に海賊として攻め入ってでも、交易をしていたという。

 

 

700年続いた島津家は、島津の殿様に馬鹿殿なし。

 

 

徳川家に篤姫を嫁がせ、昭和天皇に良子「ながこ」妃殿下を嫁がせている。

 

徳川に血を入れて、皇室にも血を入れ、色んな政策が薩摩として打てた理由であったらしい。

 

 

こういう歴史の背景から、西郷さんのような偉人達が生まれ、西郷さんのような人間力の大きさで国を変えることができたのだろう。

 

 

 

今日も全てに感謝!!