
私の心境とは裏腹に、何事もなかったように横たわるクラさんの姿があった。
私は、今までのことをクラさんに深く感謝を告げ、あの時の二人だけの約束「鹿児島で一番のバーテンダーになる!!」事を固く固く誓った・・・。
参列者の少ない、会場でひっそりと行われていたお通夜は、誰もが息を殺している本当に静かな式であったのを憶えている。
そんな会場に、私は言葉を一言二言、親族に声をかけ、挨拶を軽くかわすと、会場をあとにした。
独り会場を後にして、私の心の支えを失った大事な人へとの別れの悲しみに包まれ、トボトボと仕事に帰っている最中に、なぜあそこまで、こんな私の事を気にかけてくれ、色んなことを私に教えてくれていたのかがやっと分かってきた・・・。
彼は、私との始めての出会いから、私に託したかったのだ・・・。
それは精神論であり、経営論であり、人生論であり生きている全てだ・・・。

私も経験があるが、医者に明日死ぬかもしれないと言われた経験がある・・・。
私はうまれて始めて、自分にとって死というものを認識させられた経験だった。
その時の自分は、自分が良ければなにしたっていいという考えしかなかった・・・。
そんな人生を、死を意識して初めて自分のおろかさに気づかされるのである・・・。
本当にあした死ぬとなった時、自分は、社会のために何をしたのか?
なにも社会に貢献できていない自分が情けなくそんな人生だけで死んでいくのが本当に怖かった。
たまたまこうして私は命を、もう一度授かったが、2度目の人生は心を改めて何か社会にとって貢献できる人間になると、神と約束した・・。
その経験から、私は悟った事がある。
「地位、名誉、金よりも、もっと大切なものは与える、残す事!!」
「地位や名誉や金を持ってもあの世に持っていくことも出来ない。でも残す、与える事って、もし自分の体がこの世からなくなったとしても、残す事、与える事ができれば、私の志や存在した証は形をかえども、次世代へと残ってゆく。」
男性にあっては、仕事で社会に貢献したり、弟子や後輩に残し与える事で、社会に脈々とつながり残っていくであろう・・。
女性にあっては、何が一番かと考えると、やはり子供ではないかと考える。
女性は次の世代として子を残し、教育や愛情を与えてずっと残す与えるが出来るのではないかと思っている。
話はかなり飛んだが、なぜこんな話を長々としたかというと、きっとクラさんも、私と初めて会った時、どこかで死を意識しながら生きていたんじゃないのかと思う・・・。
だからこんな私に残し与えてもらえたのではないかと、推測できる...。

だから私の心に響いたし、今でもクラさんの意志や教えが私の中にずっと生きている・・・。
今の私がこうしてビートニックを続ける事が出来たのもクラさんとの出会いがあったからだと思う。
こうして、だんだんと後からなんとなく分かっていったのである。
そういう事が分かっていくにつれ、ますます、クラさんは私にとって偉大な存在になっていったし。
彼の最後の人生は、熱烈な私の応援団長であった。
私はクラさんが去った後、数日は何もやる気も起きず、まさか自ら命を絶つなんて想像もつかなかったし。
なぜ気づけなかったんだろうと、自分を責めたりする時間が私を無気力にさせていた・・・。
続く・・・。
今日も全てに感謝!!
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