
前回は少し余談に入ってしまったが、4回前までは、日本の酒場の歴史として、夜のお姉さまのお店、キャバレーやスナックなどについて長々と説明してきた・・。
いわゆる、口説き酒について書いてきた・・。
今回は、居酒屋の話をしてみたい・・。

前に説明してきたキャバレーだが、女性が接客するだけの場所ではなくて、ショーを行うステージや生バンド付きのダンスホールがあり、ダンスやコメディーショーなどパフォーマンスをしている、いわゆる夜の総合大型アミューズメントだったはずだ・・。
この総合大型アミューズメント的な要素を、それぞれに特化した夜の業態が出てくる。
娯楽的要素に細分化した業態も、後ほどふれてはいくが。
スナックがホステスが接客するお店として、それに特化したお店だとしたら、高級クラブやラウンジ、パブ、キャバクラ、ガールズバーなどと、様々な業態が細分化して出てきてもチットもおかしくない・・。
キャバレーがデパートなら、個人店のかばん屋やジーパン屋みたいなものかも知れない。
居酒屋ならワタミや笑笑が大型店だとしたら、個人店の焼き鳥屋、しゃぶしゃぶ屋・・。
何かを専門に特化した比較的小さな店だ。
今でこそ流行ってきているが、大型居酒屋チェーンが世の中に出てくる前は、戦中・戦後の経済統制のなかの居酒屋では、大衆居酒屋が花盛であった。
大衆居酒屋が庶民の支持を得ていた大衆居酒屋ではあったが、今の時代に合ってか、3000円くらいのポケットマネーで飲み食いをすませれる店として、サラリーマンなど中心に庶民から改めて、再熱の人気に沸いている。
ポケットマネーでやり繰りしている人間には、そんなお店がちょうどイイ♪
大手居酒屋チェーンの低迷が続いていると言われて久しい、昨今であるが、このフランチャイズチェーンの歴史を探ってみたいと思う・・。

居酒屋フランチャイズチェーン第一号はどこだと思うだろうか??
そして、どのようにして今の、居酒屋フランチャイズチェーンとして確立していったのか??
居酒屋チェーン店の歴史はもうかなり古くなっきた・・。
居酒屋チェーンの歴史を紐解くと、まず核となる3名の名前を挙げなければならない・・。
まずは、ビヤホールを含めた居酒屋チェーンをビジネスモデルとして確立した立役者としては、「ニユートーキヨー」創業者の森新太郎(一九三七年創業)。
そして、「養老乃瀧」創業者の木下藤吉郎(本名・矢満田富勝、一九五六年に一号店)。
もう一つは「天狗」創業者の飯田保(一九六九年創業、七七年にテンアライドに社名変更)の三人を挙げればいいだろう。とりわけ、飯田の役割は大きかった。いまあるチェーン居酒屋の原型を確立したのが「天狗」だったからである。
「「天狗」の創業者である保は、今後の業態のヒントを得るためヨーロッパへ海外視察に出かけ、十数カ国の酒場や大衆食堂を見て歩いた。
そして英国のパブやドイツのビヤホールを参考に、天狗神田店の二階に洋風店をオープンする。
インテリアはレンガ造りとし、ウイスキーとワイン、そして洋風の料理を出した。七二年のことである。ところが、和風の一階は超満員なのに、二階には客が入らない。
ある時、満員で長時間待たされ二階に流れてきた客が、下から料理をもってこいと要求した。
言う通りにすると、客は一階の和風料理を肴に二階の洋酒を飲み、満足して帰って行く。
そこでメニューを共通にしたところ大評判になり、若者客や女性客が入るようになった。
ここに、洋風のモダンなインテリアで、日本酒、ビール、ワイン、ウイスキーと幅広い酒、そして和洋中さまざまな料理を提供する、今日のチェーン居酒屋の原型がここにできあがったという・・。
これが基本として、今の居酒屋チェーンの礎となっている・・。
続く・・。
今日もすべてに感謝!!
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