
あの頃の天文館の勢い、熱気を一度体感してみたいものだ・・。
キャバレーなどの、大型店から、60年代から70年代半ばにかけて、ゴーゴー喫茶や、コンパなど、少し小型化した飲み屋が、頭角をあらわしてくる・・。
ゴーゴー喫茶などの変化は、のちにディスコ、コンパとはカンパニーの略で、バーで女性が接客をするスナックの礎となった業態であったようだ。
ここで、少し気になる、スナックの業態の歴史について、少し執筆することにする・・。
歴史をたどると、原型は欧米の「スナックバー」という業態らしいが、海外のスナックバーは必ずしもアルコールを提供する店ではなく、日本のスナックとは別物である。
とはいえ、アルコール以外に軽食=スナックを提供するバーというのがスナックの由来らしい。そして日本において厳密な誕生年を記すとすれば、1964年がそれにあたる。
もともとは、バーという業態から女性が接客するバーとして変わっていったようだ・・。

それまで、バーやキャバレーといったいわゆる「風俗」は、この年1964年に行われた都道府県条例改正により、24時を越えての深夜営業が不可能となった。
そこで深夜営業が可能な「スナック・バー(いわゆるスナック)」が誕生することになる。やがて1980年代にはサラリーマンを中心にカラオケや疑似恋愛を楽しめる、2次会需要の定番として親しまれるようになった。
スナックの店内の雰囲気やイメージそのものが昭和やバブルを彷彿とさせるのには、おそらくこの時代に増えたというのが大きな理由であろう。

飲み屋でお店の女性が隣に座って接客すると風営法の対象となるため、営業時間は深夜0時までとなってしまいますが、 スナックの接客はカウンター越しですので風営法は適用外となり、明け方近くまで営業しているお店も少なくない。
一昔前の大半のスナックには男性のマスターやバーテンダーがいたが、 最近ではお店を切り盛りしているのは、ほとんどがママと呼ばれる女性が多い。
これがスナックの歴史である・・。
以外に歴史が浅く、驚かれた方も多かったのではなかろうか??
ここまでに、この業態が発展を遂げたのは、男の酒には「口説き酒」とよばれるものがあるからではなかろうか??・・。
五木寛之のエッセイによると・・。
こういう酒場でもてる客の要素として、
その1は金
2番目に地位
3番目に人柄ときて
ほかにも、面白い話を用意するとか、お土産を用意するとかいろいろあるけれども、
そもそも男はなんのために酒場にいくのかと根本に立ち返る・・。
自慢したい人、威張りたい人、歌いたい人、ダジャレを言いたい人、女性に触りたい人・・。
とにかくも素直な気持ちになることが、健康的な飲み方だと・・。
やはりこの口説き酒、様々に素直な気持ちで、人、思い思いに酒と女、歌にへと向き合うようである・・。
この鹿児島で、この時代の歴史を感じるにふさわしい場所がある・・。
もちろん天文館だ・・。

その名も、「昭和の楽園」という・・。
このお店は、昭和の夜を支え引退したママたちが集まり、今もなお、現役として夜に仕えるお店だ。
このお店を知る、鹿児島の飲ん兵衛達は、崇拝の念で語る・・。
このお店のオーナーはバブル経済の時代に当時、100人以上の女性が働く大きなキャバレーを経営していた80代後半のママさんだ。
ホステスの平均年齢はなんと、70歳という超高齢化クラブだそうだ・・。
このお店の盛況ぶりは私もよく耳にし、一度は行ってみたいトコロであるのだが、あまり時間の猶予が残されていないように思う・・。
もし行かれてみたい方は、今年中には行っていただきたいものだ。
次回はなぜ、世の男たちはスナックへ、足しげく通うのかを、紐解いてみたい・・。
続く・・。
今日もすべてに感謝!!
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