
なぜ、そんなにも当時隆盛を極めたキャバレーが衰退していったのだろう??
これは、酒場が持つコミュニティーという部分が、時代の変化によって変わりゆく、環境の変化に影響を受けやすいためだと考えられている・・。
ここで少しキャバレーについて、説明をしておきたい・・。
キャバレーはフランス語で居酒屋を意味し国内では戦後まもなく、昭和20年代に東京・銀座に進駐軍向けに
第1号店がオープンした。
ホステスが客をもてなす飲食店。料金は時間制で"明朗会計"、ショーを行うステージや生バンド付きのダンスホールがあり、ダンスやコメディショーなどパフォーマンスをする舞台のある華やかで大型接客店へと大衆化した。
当時では珍しかった生バンドの演奏にのりダンスホールで華やかなドレスを着た女性とステップを交わす。
戦中戦後の混乱や日頃の労苦を忘れられる・・。
“一夜限りの桃源郷”として瞬く間に日本中に広がったという・・。
単なるアルコールと女性との会話を提供するだけではなく、文化の発信地にもなった。
数々の歌手がステージで拍手と喝采を浴び、昭和の芸能史を彩るスターとなった。
当時、テレビがまだない時に、きらびやかで華やかな娯楽をもとめて、人々は夜の街にくりだしていったようだ。
1960年ごろから、TVがお茶の間の娯楽として登場してくると、にわかに大型大衆酒場は、ゆっくりと陰りを見せ始める・・。
そして、70年代初頭のオイルショックや戦後の高度経済成長が終わりを告げ、その後にバブル経済が弾けると一転して下火に・・。
バンドの演奏やダンスがなく20代中心の女性による短時間の接待をする店舗などが、安価で気軽に通える比較的小さな店舗が台頭していった・・。
繁華街から1つ、また1つと
キャバレーのネオンが消えていった・・。
唯一鹿児島にキャバレーがある。
森川観光グループという広島のフランチャイズチェーン、ビッグボックスである・・。

ぜひ、興味がある方は一度足を運んでもらいたい・・。
昭和の香りはないが、こんな感じがキャバレーかと、感じていただけるはずだ・・。
すこし余談にはなるが、
あのローソンの全身もキャバレーだった・・。
当時キャバレーハワイは、コンビ二 サンチェーン を経て、ローソンに!
キャバレーハワイは成長が見込めなくなったキャバレー事業から、サンチェーンというCVS事業へ転身・・。
1980年にはダイエー傘下に入り、1989年に運営会社が対等合併後、1996年に社名もローソンに変更された。

2010年公開のアメリカ映画。
クリスティーナ・アギレラの映画初主演となる、『バーレスク』(原題: Burlesque)という映画がある。
どことなく、日本のキャバレーを思わせる映画である・・。
昔の人が語る天文館は、今の天文館とは違う。
人々が、刺激を求め酒場にくりだしていた、隆盛を極めていた時代だ・・。
あの頃の天文館の勢い、熱気を一度体感してみたいものだ・・。
続く・・。
今日もすべてに感謝!!
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