
人はなぜ、酒を飲むのか??
これを、おお酒飲みの国民、アイルランド人をふまえて紐解いていこうと思う。
人はなぜ、酒を飲むのか??
忘れてしまいたいことや
どうしようもない寂しさに
包まれたとき
と川島英吾は言っている・・。
果たしてそうなのか??
鹿児島方言で、晩酌の事を
「だれやめ」という。
ダレるとは、カゴシマ弁で、疲れることである。
つまり、「ダレる事をやめる・・。」
「疲れることを、やめる」
という言葉がある。
川島英吾の言葉も、鹿児島の方言も、酒を飲む立派な動機になりそうだ・・。

酒の文化も、時代の変化に相まって様々な変化を遂げてきている・・。
私が酒を飲みはじめた頃は、携帯電話がなっかった・・。
バーなどには、公衆電話がおいてあった・・。

こんな感じの電話だったと思う・・。
ジリジリ~ンと電話がなると、
「あのー、新町と申しますけど、○○来てますか?」
などという風景がよくあったものだ・・。
なぜそのような、電話の話を持ち出すかというと、近年のコミュニティーインフラの変化はここ20年で大きく変化した・・。
この変化に伴い、酒場の環境も大きく変化してきた・・。
携帯電話がなかったころ、家の外にでなければ、何も始まらなかった。
テレビやビデオ、テレビゲームなどの娯楽はあったが、やはり外に出てえ得ることの刺激は格別だったと思う・・。
外にでなければ、満足なコミュニティーは得られなかった・・。
学生の頃もたまり場で数人集まってから、何かが始まる、そんな感じだったと思う・・。
だんだん大人になってくると、そんなコミュニティーに、お酒が入って来るのだ・・。
やはり、酒場に出向くのは、誰かしらの人に会いたくて、足が酒場に向いてしまうのではないのか?

私は、この事由から、日本や英国の酒場の歴史から酒飲みの文化を紐解いてみる・・。
自分の親くらいのお客さんから、キャバレーの最盛期の話を度々聞かされる・・。
鹿児島市千日町 老舗の大型キャバレーを中心に飲食店などが軒を連ね、昭和30年代以降、鹿児島市・天文館地区の中心的存在だったエンパイヤビルがあった。
エンパイヤビルは残念ながら、2007年に建て壊されたが。
エンパイヤビルは、まさに鹿児島の昭和の象徴だった・・。
このキャバレーがあったエンパイヤビルは、本当に華々しい歴史を持つ・・。
美空ひばりが歌っていたのは有名な話。
西郷輝彦、にしきのあきらなどの昭和のダイスターを輩出したことも知られる・・。
ジャニーズ事務所のジャニー喜多川氏も当時は若い子を連れてよく来ていたらしい。
っとたくさんの語りつくせぬ伝説を持つ・・。
まさに、今や天文館の伝説だ!!
なぜ、そんなにも当時隆盛を極めたキャバレーが衰退していったのだろう??
続く
今日も全てに感謝!!
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